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ホームゴルフ今昔物語

Vol.26 プロとアマの違い

先日のマルハンカップ 太平洋クラブシニアでのことです

シニアの方々の多いボランティアさんたちが、グリーン奥で話しています

「あれがアマチュアやな」

「プロは絶対パットのラインを跨がへんねん」

ごもっとも

おっしゃるとおりですわ

3人組でプレーしているうち、2人はプロ、1人はアマチュアです

ショットの良し悪しでプロとアマチュアを見比べているのではありません

立ち居振る舞いで見分けておられました

恐るべし、ボランティアさん

 

Vol.25 電動ライ・ロフト調整機

昔、昔のことです

今ではそんなの見なくなりましたが、最高級品のライ・ロフトマシーンは電動だったのです

35年以上も前のこと

播磨ゴルフ器具製作所に私のサイテーションのアイアンセットを持ち込みました

アイアンヘッドをはさんで、べンディングバーが電動で左右に動くのです

松下のモーターがついてました

日立のモーターじゃなかったねー

「うわー、行き過ぎー!」

メモリをどんどん通り過ぎて、どこまで行くんやー

で、入江さん

(入江勉さんのお父さん)

「大分行き過ぎても帰ってくるんです」

確かに行き過ぎてはなかった

もう一回やってちょうどに合わせてくださった

鉄をしっかりはさんでいても、やっぱりどこかに遊びがあって戻るんです

手動で曲げてもそうですよね

でも手で曲げた方が、しんどいですけどきれいに仕上がりますわ

どこで曲げるのか、調整できますから

上で曲げたり、下で曲げたり

実際あまり上では曲げませんけど、中ほどで曲げて、もう一回下で曲げたりするでしょ

逆やね

下で曲げてから、中ほどで曲げる

そうすると、構えやすくなるんですよ

 

Vol.24 昔のことですが、500円とはねー

「トホホ」の話をしましょう

子どもたちをゴルフ場に引率するのには経費がかかります

私がプレーしなければならないときもあります

昔々のことです

ショートコースで、子どもが超低価格

そこに引率の私だけが有料でコースに入場できる

たしかそういうシステムでした

交通費は、私は後計算で請求するのですが、

先手必勝なのか何なのか

親御さんが持ってきたのは、各自500円玉

玉が悪いんじゃない

ほとんどかつかつのガソリン代と私の入場料金

いったい何なのか?

 

別の機会に家内の実家で合宿をしたことがありました

登山やら、陸上やらやったように記憶しております

スーパー銭湯にも行って、食事は食べ放題

贅沢に育っているのか、食べられないくらい注文する子どももいてねー

どっさりおやつも出して

これまた、先手必勝で、出してきたのは、各自3,000円

外食代とスーパー銭湯代にしかなりませんでした

赤字まで出してしなければならないことですかねー?

なぜか、後からリーダー格のご父兄からお中元が届いた

「ありがとうございます」

って、

そりゃ言ったわよ

でもねー

もうこれ以上は言わなくてもいいでしょう

なんとかレベルを上げようとしているのと、楽しいからやっているだけは違うってこと

スポーツをやったことがない人には、ちょっと難しいですかねー

 

Vol.23 FSTステップレスシャフト

キム・ブレイリーというおっちゃんが、プレシジョンカンパニーを設立して30年ほど経ちました

当時はすばらしい理論で、一躍センセーションに

あのジャンボ尾崎もすばやく飛びついたほど

アイアンセットの振動数の管理がすばらしい

すべての番手を同じ感覚で打てる

そういうふれこみだったのです

確かに評判が良かった

当時主流のダイナミックシャフトを追い抜く勢いで

しかし、トゥルテンパー社はダイナミックゴールドを発表

振動数管理ではなく、正確な重量管理のシャフト

プレシジョンシャフトは、それよりもやや軽量で一般ユーザーに受けた

しかし、価格がとんでもないほど当時は高かった

当初は、8本ないしは9本のアイアンシャフトを振動数を合わせるために先端をカットしていきました

結果、先端からファーストステップまでの長さが、0.5インチ刻みにはならずにバラバラ

不良品とまで言われた商品でした

大量生産することで、振動数別に区分けすることにより、ファーストステップの長さの問題も解決されました

しかしよく考えてみれば、ステップをなくせば、カット次第でどういうセッティングも可能

振動数のギャップを大きくすることも、逆に小さくすることも

ショートアイアンの苦手な方には、先端カットの長さを短めに

ショートアイアンを飛ばしたくない方には、先端カットを長めに

それでも手元の太さは変わらず、見た目に違和感も感じない

そういう素晴らしいシャフトなのです

お客様への、限りないオーダーメイドができるシャフトとも言えます

ただ、その技量の無いリペアショップには、無用の長物かもしれません

グラファイトシャフトにも、そういったコンセプトのものがあります

しかし、日本では全く売れていない状態です

悲しい哉

 

Vol.22 どこのクラブ?

ウッドのクラブが文字通り木製だったときのお話

Nプロのクラブ契約は、M社なのに少し不思議な作り

H社のドライバーに少し似てる

Aプロのドライバーは、どうも契約していたP社のクラブではないような

そう、多くのプロが、契約メーカー以外のクラブを使っていたのです

でも、ソールプレートは、契約メーカーのもの

他社で作らせて、ソールプレートは契約メーカーのものを入れていたのです

たしかこのような話でした

まず、パーシモンの荒削りのブロックを20個いいものを用意する

そこからプロが、10個選出し

製品になったものを5個選ぶ

そうして最後に残った2本ほどがプロのドライバーになるわけだ

今では考えられないような話でしょ

アイアンの刻印だけなくした別注って、結構使ってました

それがどこのメーカー製かを見抜くのが、ひとつの楽しみだったりしたのですが

 

M社のクラブは世界で最も精度が高いと言われている

K.Cプロがお店に並んでいるアイアンセットをそのまま買って帰って、試合に出たほどだ

T社のクラブは、爆発的な人気はあるが、製品間のバラつきが大きい

多くのサンプルの中から選べるプロには問題ないが、一般ユーザーにとっては

さあ、どうだろう?

 

Vol.21 キャディーは、昔、2ラウンドしてました

ジャック・ニクラスってご存知ですか?

まだご存知ですよね

存命ですから

全盛期のジャック・ニクラスのキャディーは、ギリシャ人のアンジェロといいました

当時は、今のようにグリーンのピン位置を示したプリントを配布しておりませんでしたので、ラウンド前にキャディーがコースをまわってピンの位置を確認する必要がありました

だから2ラウンドする必要があったのです

もちろんグリーンだけのチェックですから、実際は7,000ヤードも歩いてはないのですが

 

年取ったアンジェロは、ラウンド前のピンのチェックが出来なくなりました

それで、専属キャディーを解雇されることになったと聞いています

よかったね

昔じゃなくて

 

 

Vol.20 プロゴルファーも上手になった

昔々、私が中学のことだから、もう35年位前のこと

プロゴルファーのオールスタートーナメントというのがありました

出場選手を我々ファンが東西別に選び出し、ハガキで応募するというもの

(女子プロも選出していました)

東西別ですよ

そこまで区別していたんです

ジャンボ尾崎は徳島県出身だけど、関東のプロで東軍

入江勉プロはダンディーだけど、なぜか関西のプロで西軍とか

(入江勉プロの実家は、私のところから走って15分ほどかな?)

私が初めて観に行ったトーナメントは、神有カントリークラブで行われた「オールスタートーナメント」

(データを引っ張り出したら、1976年のこと)

一人で電車に乗って、2時間くらいかけて、しかも学生服で出かけました

当時の若手が、入江勉プロ

ベテランプロが、橘田規プロ

それに女子プロのホープ、大迫たつ子プロと岡本綾子プロ

もちろんジャンボも出てましたよ

安い賞金でも、ちゃーんと出てたんです

だから、ジャンボが今のプロに意見を言っても何にも不思議じゃない

上位の選手が出場するなんてことは、ごく当たり前のことやったですから

多くの男子プロのキャディーバッグの中には、パワービルトのクラブが入ってましたっけ

尾崎将司プロ、青木功プロ、杉原輝雄プロ、鷹巣南雄プロ、山本善隆プロ

それから、中村通プロの4番アイアン

ダンロップのアイアンを使いながら、4番アイアンだけパワービルト

不思議でしょう

今から考えればかなり変な話

どこかのコースで4番アイアンだけ置いてきたんかいな?と思うような話

もっとひどい例は、村上隆プロ

ウィルソンの契約だったけど、何本のウィルソンのクラブが入っていたんだろうか?

ホンマのアイアンも入っているわ

他のメーカーも

バックフェースは穴だらけ

鉛はべったりで

もうそれは、職人の道具

誰も欲しいとは思わないような

4冠王のゴルフセット

一番強かったときやねー

私が学生服でサインを求めましたら、

「飯喰わなくちゃなんないからー」って、断られましたけど

ちゃんと食後にはサインをいただきました

人気選手だったもんねー

それは長蛇の列だったです

 

あるショートホール(12番ホール)で、

池はそれほどグリーンに近くなかったけど、

あるプロはトップして池に

今じゃあまり見なくなった光景

ほんそこの池だもん

その池は、また後ほど違うパー3(17番ホール)に絡んでくる

 

帰って、テレビ中継を見ました

そしたら、

あとでその池が絡むホール(17番ホール)で、この池に朝入れましたみたいなことを言ってるわけ

このあと、ああ、テレビってこういうものか、って思うようになりました

やっぱり間違いってあるわけよ

そんなシーン、見なくなったでしょ?

 

Vol.19 トム・ワトソンの話
2009年の全英オープンおしかったです
もう少しで優勝するところでしたねー
私のホームコース播磨カントリークラブは、トム・ワトソンが66のコースレコードを持っていました
後に、青木功選手に2打更新されるのですが、

当時のトム・ワトソンのドライバーは、トニー・ペナ
3番ウッドが、「ゼット」
アイアンが、ゴールデンラム
パターが、ピン・パル
もしくは、アイアンも「ゼット」でした
わかりますか?
「ゼット」ですよ
野球の「ZETT」渡辺さんです
トム・ワトソンは、ダンロップの前
ZETTと契約がありました
日本でのプレーは「アルカディア」というブランドのクラブを使っていました
当時としては、かなり完成度の高いアイアンでした
ウッドは、パワービルトに似ていました
その3番ウッドを契約が終わった後も、長く使っていたわけです


Vol.18 サム・スニードの話
マスターズトーナメントの2007年のチャンピオンは、ザック・ジョンソン
パー5すべて2オンを狙わなかったそうです。
ところで、サム・スニード
私が尊敬する、ハービー・ぺニックは、サム・スニードの若き日を見て、トーナメントプロになることをあきらめたそうです。
サムは、なかなかヴァードントロフィーが取れませんでした。
分析してみると、チャンスホールであるパー5での大たたきがいくつもあったからです。
彼は、アイアンで届く距離以外のホールは、無理をしないことに決めました。
翌年、サムはヴァードントロフィーを取ることができました。
そこらへんの、おっさんは、狙え、狙えって言うけど、本当のプロはやっぱり違うんです。


Vol.17 ベンホーガンのアイアン
私がオーストラリアに行って最初に使ったアイアンセットが、ベンホーガンです。
オーストラリアは、ゴルフのワンダーランドで、いいクラブがいろいろあるんだろうなと思っていましたので、日本からクラブを持参しませんでした。
もちろん「郷に入れば、郷に従え」のつもりで、当然オーストラリアのコースは、オーストラリアのクラブが合うんだろうなと。
でも、いいクラブがない!
そこで考えたのは、中古クラブ
シドニーの「ゴルフハウス」に行って、ベンホーガンのAPEXを購入
でも、シャフトがへたってるー
ダイナミックゴールドのS-400が当時なく、S-300で我慢したのでした。


Vol.16 形態模写
昔はプロのスイングの形態模写をする人がいました。ジャック・ニクラス、アーノルド・パーマー、ゲイリー・プレイヤー、リー・トレビノ、レイ・フロイド、ジョニー・ミラー、トム・カイト。みんな個性的なスイングの持ち主です。日本では、青木功、杉原輝雄、安田春雄、林由朗、戸田藤一郎。
でもジャック・ニクラスの所作は良く似てても、スイングの似てる人は一人もいませんでしたっけ。
ジャンボ尾崎のスイングもまったく似てませんでしたよね。
今はどのプロのスイング模写ができます?
どのプロのスイングも真似しづらいよ。癖があっても、その癖が小さいんです。
いました!
決定的な一人。横峯さくらちゃんです。 


Vol.15 お世話になりました。
近くのマックスバリューに買い物に行っていたときのことです。
「よく似た人やなー。」
一人の初老のご夫人。(初老という言葉に、たぶんいい気持ちはしないだろうけど。)
「まさか、ここでは会わないよなー。」
ちょうどレジに並んでいたとき、その人が笑顔で通りかかる。
「やっぱり?」
私が、学生時代とオーストラリアから帰国後にお世話になっていた青山ゴルフクラブのキャディーの古山さんです。
退職後、近くに家を建てられたそうです。
在職時には、「僕ら、これ食べー。」と言って、回転焼きを下さったことを覚えています。その節はありがとうございました。

私のアルバイト時代は、たいへん楽しかったのです。
大学生のとき、青山GCでお世話になりました。これが第一回目です。
どういうわけか、アルバイトで私より年長者が少なかったので、私が必然的にリーダー格でした。
月に一度の定休日の、コースラウンドが楽しみで、まじめに仕事をしたものです。ゴルフをしないアルバイト仲間もゴルフを始め、集団として仲間意識が芽生えていたときのこと、何故か、アルバイトだけにラウンド禁止令が。
ゴルフ場を傷めたわけでもなく、カートの後始末をしなかったわけでもないのに。(当時、アルバイトはカートが使えませんでした。したがいまして、みんな担いでまわっていました。)
何でもかんでも、アルバイトにシワ寄せが来たのです。
その後、私たちはキャディーマスターに談判に向かいました。それでも答えは、ノーでした。
翌日の日曜日、我々は示し合わせて、仕事をボイコット。仕事をしなかったんじゃなくて、みんなで休んでどこかに遊びに行きました。お金がない者同士でしたが、やけくその決断です。もちろん休む事は言っていました。最低限の礼儀は守ろうと。
後から聞くと、インテリの大学の頭のいいヤツが一人だけ、アルバイトに行っていたそうです。
翌月から、アルバイトのコースのラウンドが再び認められるようになりました。
微力なストで、我々は権利を手中にしたのですが、頭のいいヤツは、金と権利の両方を手にしたわけです。あんたにゃ、勝てん。
でも陰でキャディーマスターが、グリーンキーパーにたのんでくださったようです。ありがとうございました。感謝しています。
その後、アルバイト仲間で、六甲国際GCに日本オープンを見に行くときも、日曜日にもかかわらず当時の支配人が人数分のチケットをくださいました。いろいろありがとうございました。私の青春時代は、アルバイトに尽きます。
そういえば、今もその支配人とは、兵庫県ゴルフ連盟のジュニアスクールで一緒に指導をしています。細くても意外と永い付き合いです。


Vol.14 釣具屋さんに似てた。
かつてのゴルフショップは、なにやら釣具屋さんに似ていました。
もう30年くらい前の話ですが。カタログも現在ほどなく、新商品の見聞もゴルフショップで広めていくといった風でした。ですから、定期的にゴルフショップに行くという状況でした。
陳列ケースの隅っこに何かわからないようなアイデア商品や、真ん中にドカーンと新商品が並んでいて、それが何かを店員さんに尋ねる。そして、店員さんとコミュニケーションが深まっていく。といった手順でした。
上記の点が、釣具屋さんと似ていました。
でも、今では、ゴルフショップに見たい商品を見に行く。そうでなければ、ウェアを買いに行く。新しい発見はまったくなくなりました。その点ガッカリです。
もっと似ていた点は、店に来た人のほとんどは「次の釣りで大物を釣る。」と、大志を抱いていたことです。もちろんゴルフでは、「ベストスコアを更新する。」と野望を抱いていたことです。
あまりスコアではなく、「次はどんなクラブに替えようかな。」と食指を伸ばす方が多いように見えます。
かつてのほうが前向きな人が多かったのは、否めません。
それでもゴルフと釣りとまったく違う点は、釣果はその人の腕、ゴルフの結果は、その人のクラブというところですか?
大物を釣っても、竿を褒める人は一人もいませんが、ゴルフで飛ばすとその人のドライバーが気になるものです。


Vol.13 ファーイーストって何?
数日前に、キャスコのセールスマンがやってきました。そこに居合わせたのは、キャスコのOBで私の仙台の友人です。
私「ファーイーストって知ってる?」
キャスコ「いいえ。」
私「じゃあ、ドムって知ってる?」
キャスコ「いいえ。それって何です?」
聞いていた友人はガッカリ。ああ嘆かわしい。ゴルフの歴史を知らんのんかいな。確かにそんなことを知らなくても、物が売れたらいいのでしょうけど。
私「じゃあ、鎌田利って知ってる?」
キャスコ「はい、知ってます。」
たしかに株式の上では、鎌田利がキャスコの前身になりますが、ゴルフの上ではそれより前のファーイーストが前身と考えてよいのではないでしょうか。
いろいろ洒落たキャディーバッグや、ボールがあったんですよ。
当時のゴルフショップには、ダンロップ(マックスフライ、65、パー)やブリヂストン(レクスター、イーグル、バーディー)のボールの在庫はありました。次に、リー・トレビノがテレビのコマーシャルに出ていた保土谷ラバーのストライナー、せいぜい次におしゃれなショップでタイトリストが置かれていた程度でした。ずーと開いて、その次ぐらいに、ファーイーストのDOM(ドム)が置かれていました。DOMブラック、MESA(低価格バージョン)、SIC、その後、SICをちょっと高級にしたハート(1個400円)が出ました。
当時、杉原輝雄ファン*の私が欲しかったSIC(1個300円)を見つけることはなかなか困難でした。SICは、たしかサーリン・インジェクション・カバーだっとと思います。カットがほとんどでない画期的なボールでした。アメリカですと2ピースのトップフライトって感じですか?

*当時、関西ではジャンボ尾崎ファンと杉原輝雄ファンに二分していた。関東に行った時、初めて青木功ファンの存在を知った。まだ、中嶋常幸や村上隆が出てくる前のことです。


Vol.12 ヤングキャンプ(ゴルフダイジェスト主催)
25年ほど前のこと、ゴルフダイジェストが催す、ヤングキャンプというスクールが夏休みに水戸で開かれました。
ゴルフの殿堂入りしたジェリー・ブルーム、スタンフォード大学出身のトム・クイン、まだ大学生だったキース・クリアウォーターが講師として招かれました。すばらしい講師陣の割りに、4日間の参加費はたったの40,000円でした。
多数プロのスイング写真の資料を前に説明されているとき、引き合いに出すのは、サム・スニードや、バイロン・ネルソンです。隣にジャック・ニクラスや、トム・ワトソンの写真もあるのですが。不思議に思い、参加者の誰かが二クラスやワトソンのスイングのことを言いました。
当時、日本ではトム・ワトソンが世界一の印象を持たれていました。
しかし、二クラスや、ワトソンのスイングは、上体(トルソー)を右に向けて左に向けるスイングで、あまり薦められないとのことでした。一同は少し納得したのですが、「なるほど。???」という感じでした。
今になって考えれば、そうだなってわかります。その時期そういう風潮があって、そちらの方向に進んでいても、将来を考えて駄目だと思ったら、「駄目だ。」と言ってあげることも必要なんですね。


Vol.11 日本プロゴルフオールスタートーナメント
昔、プロゴルフもプロ野球と同じように、出場選手をファンが選出する、オールスタートーナメントがありました。
関東の選手と関西の選手、それに女子選手を選びました。当時だと関東からは、尾崎将司、青木功、村上隆、金井清一。関西からは、杉原輝雄、山本善隆、中村通、内田繁、鈴木規夫。女子では、樋口久子、中村悦子、鳥山由紀子、大迫たつ子、岡本綾子ら、そうそうたるメンバーがが選出されていました。
私の知る限りでは、宝塚ゴルフ倶楽部、神有カントリークラブでおこなわれていましたが、もっと以前から開催されていたのだと思います。もしこのような形態でのファン選出は、現在の女子プロは成り立っても、男子の分野では、東西に分けるほど、選出したい選手がなかなかいないというところではないでしょうか?
それでも賞金が少ない中、賞金上位の選手が、よくプレーしてくれたものです。今の選手が、ただのファン選出だけで、安い賞金の試合でプレーしてくれるでしょうか?
いい時代でした。


Vol.10 ツアープロのスイングウェイト
ABC日米対抗ゴルフが開催されていた頃のお話です。アメリカから、有名選手が毎年秋に来日していました。トム・ワトソンもそうです。
ある年、ベン・クレンショーがスポーツ振興カントリークラブ山の原コース(現在の山の原ゴルフ倶楽部)にそのトーナメントでやってきました。
練習場でのことです。彼の友人でもある青木功選手が、当時クレンショー選手が契約していた、YONEXのアイアンを試しに打っていました。
最初のショットをダフった青木選手は、「ヘビー!」と言いながら、スイングウェイトを尋ねました。「D−3」とクレンショー選手が答えると、「D−2・・・」と青木選手がアドバイス。
するとしきりに「D-2 is good.D-2 is good.」と言いながら球を打っていました。
先日私が入手した、ギル・モーガンのアイアンセットもD−4近くありました。ベストなパフォーマンスを発揮するスイングウェイトは、プロが使うSの硬めのフレックスでは、D−2あたりになります。しかし、緊張した下でのプレーには向かないかも知れません。スイングウェイトを重めにして、少し鈍い球でも安定感を重要視しているようです。
当時YONEXは、カーボンウッドのカーボネックスを発売しておりました。アイアンは、マグレガーのVIPのようなスタイルでヘアライン仕上げでした。もちろんホーゼルは、VIPよりも短くなっていました。各社、マグレガーのリミテッドエディションに似たモデルを販売しておりました。
クレンショー選手は、その前の年だったかと思いますが、千葉の習志野カントリークラブにカーボネックスのドライバーをバッグに入れて、サントリーオープンに出場しました。しかし残念ながら、ティーショットに使用したのは、彼の3番ウッドのマグレガー693でした。当時のクラブ契約にはかなり困難がありました。


Vol.9  ボールスポッター
昔私がオーストラリアのアマチュアトーナメントし出場していたとこのこと。シドニーから車で2時間かけてプリンセスハイウェイを南に下りたところに、モリモクという町があります。太平洋の海沿いのきれいで静かな町です。そこにはゴルフコースが2つあります。ヒルトップコースとシーサイドコースです。ヒルトップコースは木がいっぱいあるチャンピオンコースで、シーサイドコースはビギナーでも楽しめる9ホールのコースです。
私は、モリモクオープンという2日間の競技に参加しました。木の中にボールが入ってしまうことが多々あるので、メンバーの子供さんがボールスポッターとして、ボールが行った箇所を知らせてくれるのです。木の後ろに隠れてみてくれる子どもや、木に登って見てくれる子どもがいるのです。ボールがなくなることなんてありません。まさに、“Good job”です。
2日目はチョコレートバーをたくさん買って、キャリーバッグ(自分で担ぐキャディーバッグ)に詰め込んでプレーしました。もちろん子どもたちへのプレゼントです。危険と言えば危険なお手伝いですが、大人とのリレーションシップがうまく取れているほのぼのとした光景でした。上位に入賞した私は、ボールスポッターへのお礼をしっかりと表彰式のスピーチで述べておきました。


Vol.8  ソニーワールドランキング
ジャンボ尾崎の第二全盛期の頃、世界のゴルファーの順位の統一規格がなく、作られたのがソニーワールドランキングです。
長らく、グレッグ・ノーマンが1位を保っていた中、ジャンボ尾崎は確か8位に長くいたことを覚えています。もちろんその当時のジャンボは、日本では他の誰よりも強く。今の選手にたとえようがありません。それでも、海外の選手からみると、アメリカではマスターズとUSオープンなど、2、3試合のみ出場して、しかも上位に入らない選手が上位にいたので不自然に見えたのです。(マスターズで8位に入ったのは、第一期全盛期ですからそれよりも前のことです。)
今では、名前も算出方法も変わって、タイガー・ウッズがVJ.シンに変わり、1位に返り咲きましたね。
今回、ロレックスランキングが出ました。世界の女子ゴルファーのランキングです。
でもこのランキング少しおかしくないですか?日本選手が、トップ10の中に2人、トップ20の中に5人もいます。 韓国の選手が日本人選手とほぼ同数です。トップ50の中に、日本人選手10人に対し、韓国人選手12人。 でも実際そうでしょうか?今では、どうみても韓国人選手のほうがもっと強くないですか?
50位に“マッスルウーマン”レイチェル・ヘザリントンがいます。メジャーでいつも優勝争いをする、フィリピンのジェニファー・ロザレスは24位です。
もちろんなにかのデータを基にして、ランキングを作ったのでしょうが、少し納得のいかないランキングです。
皆さんも一度ご覧ください。
http://www.lpga.or.jp/n_release/archive/2006/02/rolexrank.pdf


Vol.7  セルフプレーは時計を持って、
欧米並みに、キャディーレスでゴルフをすることが多くなった昨今、スロープレーが目立って増えてきました。プレーフィーを払っているから、ゆっくりプレーしたいというご意見もおありでしょうが、それはただのわがままです。
先日お客様とラウンドする機会がありましたが、前の組が見えなくてもまったく気にするそぶりはなし。どんどん時間は、スタート時間から2時間が近づいてきます。6番ホールを終わった時点で「少し急ぎましょか。」と声をかけますと少し速くなったのか、9番ホールのグリーン上で2時間20分を迎えることになりました。ちょうどその頃、コースのパトカーが9番ホールのティーからこちらへ向かってくるところでした。ぎりぎり、セーフです。
セルフですとプレーに夢中になりすぎて、プレー時間を忘れることがあるでしょうが、腕時計か携帯電話の時計を活用して、スロープレーにならないように気をつけましょう。
スロープレーに気をつけるのは、最低限のマナーだと思います。


Vol.6  サイテーション・プラス
私が高校生のときに最初に買ったアイアンセットは、パワービルト・サイテーションです。貯めていた小遣いで買ったのですが、当時定価がアイアン8本で100,000円もしました。スチールシャフトのアイアンですよ。
ジャンボ尾崎プロ、青木功プロ、杉原輝雄プロ、鷹巣南雄プロ、山本善隆プロ、中村通プロと、かなりのトッププレイヤーが契約プロで、パワービルトのブランドはかなり高いところにありました。
私がアイアンセットを購入してからまもなく、近くの播磨カントリークラブで“日米対抗”というトーナメントが開催されました。
アメリカからは、トム・ワトソン、トム・ワイスコフ、デーブ・ストックトン等有名選手がやってきました。
その中に“ミスターX”こと、ミラー・バーバーがいました。彼はアメリカでは“ドクターX”と呼ばれていたそうです。彼のオレンジのパワービルトのバッグ中身は、ベンホーガンのウッドに加え、パワービルトのアイアンが入っていました。サイテーション・プラスです。
そんなモデル見たことがありません。青木功プロがスコッチブレードを使う以前のことですが、まったく同じデザインのアイアンです。サイテーション・2392に似ていますが、“PLUS”のロゴが確かにありました。もう一人のプロも、サイテーション・プラスのアイアンを使っていました。
パワービルトの歴代のカタログにも載っていません。アメリカのコレクターの方に聞いてもわかりません。あの“PLUS”のロゴは何だったんだ。
どなたか、パワービルト・サイテーションプラスについてご存知の方おられますか?


Vol.5  ヴィンテージクラブ
もうかれこれ25年前になりますか。“クラシッククラブ”といわれるゴルフクラブが多数プロのバッグに入っていました。とりわけドライバーとウェッヂは多種多様であったようです。
ジャンボ尾崎プロが、パワービルトの国際興業との長い契約が終わり、色々とクラブを探していました。ドライバーとパターはマグレガー(MacGregor)、アイアンはスポルディング(Spalding)、ベンホーガン(Ben Hogan)を長く使っていたようです。それからブームが到来したのでしょうか?
私がクラシッククラブに出会ったのは、三宮のサンゴルフを訪れたときです。今の東京の芝にあるサンプロショップの前身です。なんとガソリンスタンドの中にありました。いかにもマニアックなお店で、ほんとに隠れ家的な良い感じでした。そして徐々に私もクラシッククラブの深みにはまっていったのです。
その後東京までドライバーを探しに行って、マグレガー・ベロシタイズドのドライバーとスプーン(W#3)を買い長らく使っておりました。金額はそれぞれ、13,5000円と50,000円でした。かなり高かったけどそれなりに上達しました。やっぱり投資したんですもん。
アイアンはパワービルト(PowerBilt)からウィルソン・ダイナパワー(Wilson DynaPower)’64に変わっていったのです。
アイアンは辛うじて私よりも年下ですが、ウッドは私よりも年上、ましてやパーシモンが育っていく過程を考慮すればかなり年上です。やはり敬虔な気持ちが現れ、クラブを大事にしました。
今のクラブは溶鉱炉から出てきた生まれてホヤホヤの赤ん坊のようです。すぐにクラブを替えても不思議ではないか?
今でも私のアイアンとウェッヂ(時にはパターも)は、ヴィンテージかプロが使った中古品です。私の立場上新しいクラブを使ったほうが良いのかもしれませんが、それはドライバーだけ。(飛距離は最新式にはかないません)だけどスコアメークの部分はまだ譲れません。
申し忘れましたが、シャフトやグリップは現行のものに交換してから使っています。


Vol.4  シュガー?グラニュー?砂糖!
かつて私がオーストラリアでゴルフを転戦していたとき、カナダのダニー・シャープというプロと知り合いました。
彼がサウスオーストラリアのアデレードで行われたウェストエンドオープンのPQ(プリ・クオリファイ)を通過した際、私が彼のキャディーをしました。
コースはザ・グレンジといい、F1グランプリで有名なところで海岸線に近いところです。ある強い追い風のホールで、彼がティーショットを終えた後、「これくらいの風だと、3ウッドのほうが距離が出るよ。」と言ったら、「なぜ早く教えてくれないんだ。」だって。結構気を使っているのに。
当時の売れ筋のクラブを象徴するように彼のクラブは、テーラーメイド・ツアープリファード#1、#3、Ping・EYE2#2−9、PW、SW、AW、それにPing・B60のパターでした。
色々と勉強になることがたくさんあったのですが、そのひとつにパターシャフトの中に“シュガー”を入れるとタッチが柔らかくなると言うのです。もちろん“シュガー”が砂糖ということはわかっていたのですが、「シュガーって何よ?」と尋ねたら、「グラニューかな?」って答えるのです。特別の砂糖じゃなく、普通の砂糖のようです。私も一度試して見ました。どれくらい入れるのかわからず、とりあえずシャフトいっぱいに入れてみました。確かにフィーリングは柔らかくなりました。でもあまり入れすぎたのか、“ガシャ”って感じが残りました。間違いなく入れすぎてます。
もしトライされる方は、ファーストステップまでのコルクで留められる程度の分量でやってみてください。昔のタッチの硬いパターも甦りますから。


Vol.3  杉原輝雄のゴルフ
昔からサンテレビで「杉原輝雄のゴルフ」はありました。途中の中断はありましたが、もう30年以上長くあります。やはり面白かったのは、藤田まことさんとの掛け合いでした。当時の番組ではなんと、藤田まことさんが杉原プロのクラブを使ってレッスンを受けていたのです。今では考えられないことですが、あのサイテーションのクラブです。さすがに途中でファンの皆さんからお叱りを受けたということで、パワービルトのクラブを買われたようです。「そんな時代もあったのだなー。」とつくづく思います。


Vol.2  クラブのお手入れ
最近の私のゴルフの弛みようはひどいものです。ゴルフから帰ってきて車からバッグを降ろしたらそのまま。次のゴルフか、めったにしない練習まで埃をかぶっています。
昔、私が使っていたクラブは、よく錆びました。30年も昔のことです。小中学生の子どもであった私は、もちろんゴルフ場に行くお金もなく、近くの塩田跡で、あまりゴルフをしない父のクラブでよく練習しておりました。私が使っていたクラブはステンレス製ではなかったので、練習後ほうっておくとすぐに錆びました。ですので練習後は、必ずアイアンオイルで汚れを取って、錆びの防止をしておりました。その当時サビッシュという錆び取りが発売されて、便利になったのを記憶しております。
中学の試験中はゴルフを休止しておりましたが、欲求不満でただただクラブを磨く毎日が流れました。その当時テレビドラマの社長が、いつもその行為で登場しましたね。
その当時ウッドにウッドオイルをつけて磨く慣わしがありましたが、何本ものウッドオイルを使い果たした後、私が使っていたウッドがプラスチック製だと気づきました。なんという無駄なことでしょう。パーシモンが水分を含まないように外側をオイルでコーティングする目的で使用するものを、なんというバカな。



Vol.1  ファーイーストの杉原輝雄です。
30数年前、神戸の須磨にあったラジオ関西という放送局が月曜日から金曜日まで毎朝「西条遊児・笑児のおはようさん」という番組を放送していました。月曜日にゴルフのコーナーで杉原輝雄プロ、入江勉プロ、ゴルフショップを経営される戸田藤一郎プロの息子さんが生で電話出演され、最新のゴルフ情報を紹介する画期的な番組でした。そこでの紹介が、「ファーイーストの杉原輝雄さん」だったのです。もちろんそのころから放映していたサンテレビの「杉原輝雄のゴルフ」でも同様の紹介でした。
ところでファーイーストって何かって?今のキャスコの前身の会社です。それで社名の認知度はかなり上がりました。ボールの「DOM」「DOM SIC」「DOM ハート」は、杉原輝雄プロなしには語れないボールでしたね。

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